【銀行員から転身した異色のプロゴルファー・内山久美プロ登場!】「プロになろうと決めてから、初めて打ち方を教わりました」

ゴルフを始めて短期間で飛躍的に上達した女性にインタビュー。どのように課題を克服し、100切り→90切りを果たすことができたのか、秘訣を語ってもらいました。

◆ゴルフ環境に身を投じ上手な人から学ぶ日々

内山久美プロ(以下、内山プロ)がプロテストに合格したのは31歳のとき。プロになると決心した25歳時点でゴルフ経験はほぼゼロ。友人に付き合い、2回ほど打ちっぱなしに行ったことがある程度だった。

「まったくボールに当たりませんでした。本当にかすりもしなかったので納得がいかず、逆に導火線に火がついた感じです」

そんなある日、偶然テレビで不動裕理プロの優勝シーンを見て「ゴルフは個人で闘えていいな。プロゴルファーになりたい」と思ったそう。すぐさま書店に駆け込み、プロテストを受けるのに年齢制限がないことを確かめると、1週間後には上司に辞職の相談をした。「プロゴルファーになるため」と言っても信用してもらえず、ヘッドハンティングを疑われたりもしたという。

こうして退路を断ち、退行した翌月からゴルフ練習場で打席スタッフとしてアルバイト生活をスタート。しかし、コーチからは「センスがない」と言われ、まともに取り合ってもらえなかったと笑う。

「『7Iで奥のネット(約150Y)にキャリーで当てられたら教えてあげる』と言われたので、2か月間7Iだけ必死に練習しました。3か月目にグリップに穴が空いたのを見て、『ほかのクラブも練習していいよ』と言って教えてくれました」

客の少ない早朝に毎日500〜1000球ほど打ち込み、番手ごとのショットを確実に習得。1年ほどで80台を出すと、今度はキャディとしてゴルフ場に勤務し、さまざまな技術を身につけたという。

「キャディ仲間はゴルフ部出身やプロを目指す人が多く、みんな上手です。同僚が生徒に教えている横で一緒にクラブを振っていました。また、アプローチとパターが上手な常連さんが毎日一緒にラウンドしてくれたので、頻繁にアドバイスをもらいました。この方に限らず、上手な人と数多くラウンドしたことが、いちばんの上達のカギだったかもしれません。ただし、上手な人にもタイプがあり、その人のゴルフ環境が影響しているので、感覚や教え方も人それぞれ。現代はユーチューブなど情報量が多いので、“自分に必要な練習をチョイスできるか〟が上達のカギになると思います」

立教大学卒業後、現・三菱UFJ銀行に入行。2011年LPGAプロテスト合格。
同年「LPGA新人戦 加賀電子カップ」で7位入賞。17年までステップアップツアーを主戦場に参戦。

内山プロが毎日行っているパター練習のひとつ。『パッティングレール』を使い、レールからボールが落ちないように打ち、連続50回成功させる。ショートパットのミスが確実に減る。

Golf History

22歳/現・三菱UFJ銀行に入行

立教大学を卒業後、就職氷河期まっ只中に東京三菱銀行(現・三菱UFJ銀行)に総合職として入行。順風満帆の社会人生活をスタート。

25歳/不動裕理プロの優勝シーンを見てプロになろうと決意

銀行員としての進路を決める時期、行内でやりたいことが見当たらずに悩んでいた。偶然テレビで不動裕理プロの優勝シーンをみて刺激を受け、個人技で稼げるプロゴルファーになろうとひらめく。

26〜27歳/ゴルフ練習場に勤務。半年以内に90台、約1年で80台に

退行した翌月から、都内のゴルフ練習場で打席スタッフとしてアルバイト生活を開始。同じ練習場で教えていたレッスンプロに教えを乞い、10ラウンド目に100切り、1年後に90切りを達成。

28歳/ゴルフ場に勤務し、日々練習に励む ←ココで急成長

千葉県のゴルフ場近くに引っ越し、キャディとして勤務。レッスンプロやキャディ仲間に技術を教わりつつ、ラウンド後には夜遅くまで練習三昧。

29〜31歳/派遣キャディとなり、プロテストにチャレンジ ←ココで急成長

勤務後の練習時間を確保するため、フリーの派遣キャディに。多様なゴルフ場で経験値を積む。アマチュア競技会に参加し、マネジメント・集中力・試合感を養う。プロテストにチャレンジ開始。

31〜37歳/プロゴルファーとしてツアーに参戦

31歳、3回目のチャレンジでプロテストに合格。同期プロは香妻琴乃プロ、工藤遥加プロなど。同年「LPGA新人戦 加賀電子カップ」で7位に入賞。プロとして充実の日々を過ごす。

現在/2歳児のママとして子育てに奮闘中

37歳で結婚。現在は2歳になる女の子の子育てに専念しており、ツアー復帰については未定。

Regina2024春号より転載 撮影/大崎 聡 エディター/大津恭子 撮影協力/Lounge Range広尾天現寺

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