古閑美保コラム「子供の才能を伸ばすのも、つぶすのも大人」

こんにちは、古閑美保です。私のゴルフに対する考えやゴルフ界に言いたいこと、女性ゴルファー向けの話しなど、歯に衣着せず、感じたことをお伝えしていきたいと思います。今回はジュニア育成についてです。

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今年10月からプロゴルファーや研修生らを対象に、ミニツアーを開催する日本チャレンジゴルフツアー協会(JCG)という団体があるのですが、先日、JCGのジュニア育成基金アンバサダーに就任したことを発表させていただきました。ツアーを退いてから10年、前々からやりたいと思っていたジュニア育成を本格的にスタートさせる形になります。

今、考えているのは、私の出身地である熊本でジュニアの試合を行い、主人のサトシ(小平智)が東京出身なので関東近辺で試合を行い、その成績上位者を集めて対抗戦をやりたいと思っています。将来的には、大会で活躍した選手をプロのトーナメントに出場させたり、世界のジュニアの試合に派遣したり、世界に通用するジュニアを育てる環境作りを第一に考えています。

ジュニア育成といっても手取り足取り、技術的な指導をしようとは思っていません。全国各地にジュニア向けの教室があったり、いろいろな指導方法があると思います。私はジュニア出身で賞金女王になりました。自分の経験を踏まえて、ジュニアを育てるには、環境を整えてあげて、細かいことはあまり口出ししない方がいいという考えです。

私がゴルフを始めたのは10歳です。当時、お父さんの影響で野球をやっていました。2、3歳の頃から水島新司さんの漫画「野球狂の詩」に出てくる女性プロ野球選手、水原勇気のように女性プロ野球選手になることを目指して、本気で取り組んでいました。高校生になったら甲子園に出場して、卒業後は巨人に入団し、4番を打つところまでの未来予想図を描いていました(笑)。実際、大谷翔平さんではありませんが、エースで4番を任されるなど、地元ではわりと名前の通った野球選手だったんです。

子供は型にはめず、自由に打たせるのが上達の近道

そして小学5年生の頃、のちにプロゴルファーを多数輩出する坂田信弘プロが主宰する坂田ジュニアゴルフ塾(坂田塾)が、日本で初めて熊本で開塾することになったのです。親戚はみんなやっていたし、母親の勧めもあってゴルフもやってみようと、始めたのがきっかけで、徐々にゴルフにシフトしていき、今に至ります。

当時は坂田塾の代名詞であるショートスイングやジャイロスイングなど、特別な教えはなく、練習場にいるコーチにグリップの握り方と基本的な振り方を教わって、4カ月ぐらい、ひたすら6番アイアンを打っていました。その頃は小学生がゴルフをやる環境はほとんどなくて、ゴルフ初心者の子供がたくさん入塾しました。最初から真っすぐ飛ぶ子もいれば、空振りする子もいました。うまくなるスピードは違いますが、時間が経つと、みんなうまくなるのです。

特別なスイング理論はなく、コーチも手取り足取り教えてくれるわけではありませんが、同世代の子たちが横並びでゴルフを始めたことで、勝手に切磋琢磨して、みんなでうまくなりました。中学時代は個人では日本ジュニアで優勝しましたし、高校時代は仲間とともに団体戦でぶっちぎりで全国大会を連覇するなど、熊本の強さを見せつけた記憶があります。

小学生だからといって、ただボールを打っているわけではありません。最初は当たらないこともありますが、だんだんと考えながらボールを打つようになるのです。ボールに当たるようになったら、次第にフックを打てば飛ぶようになるからフックを打とうとか、低い球を打つにはどうしたらいいとか、ラウンドで必要なちょっと高度なことも自然とやるようになります。環境があれば子供は自分たちで勝手に伸びていくものです。今思うと、私は本当に自由にやっていました。

大人には型にはめるアドバイスは有効だとは思いますが、子供はそうではありません。大人が入れていい価値観はないと思うんです。私の中では、アドレスとクラブの握り方、インパクトゾーンの形ぐらいは教えたいところです。

しかし、グリップの握り方さえも、私の押し付けのように感じてしまいます。ベースボールグリップだろうが、インターロッキングだろうが、子供はどんな握り方でもうまく打つのですから。

子供は好き勝手打った方が伸びる。大人の価値観を入れると、そこで子供の成長は止まってしまいます。才能を伸ばすのも、つぶすのも、大人だと私は考えています。子供の才能は無限ですから、才能を伸ばせる環境を提供できるようにしたいですね。

こが・みほ/1982年7月30日生まれ、熊本県出身。身長167センチ、2001年プロ転向。03年にヨネックスレディスでツアー初優勝を遂げるなど、年間2勝を挙げて賞金ランキング3位。08年には年間4勝を挙げて、賞金女王戴冠。29歳になった11年、シード権保持していたがツアー引退。ツアー通算12勝。21年からGMOインターネットグループのアンバサダーに就任

取材・文/小高拓

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